カフェオレがボヤく!

インテリジェンス(知性)とチキンを愛し追求する薬剤師、略してインチキ薬剤師があれこれかたります。

サルが「言葉」を覚えた話

 

こんにちは、カフェオレです。

サルだった私が言葉を覚えた話を。

≪~小学校»

小さいころの私は、無口で、ほとんどしゃべることがありませんでした。

特にとりえもなく、喋らないサルだったかと思います。

運動は壊滅的だったし、不器用だったんで、

ヒエラルキーは最下層だったなと。

ま、小学校は先生も優しいし、人数も少なかったからたいした問題にならなかったんですよね

 

≪中学校≫

で、問題は中学校。

自己主張ができない、これはヒトとしても動物としても致命的でした。

「なんで黙っているのか」

けっこう苛烈ないじめがはじまりました。

バカな私は

『真実』

とか

『本当の〇〇』

とか

『人権』

とか

『あるべき姿』

とか

いまなら「ばかだなぁ」と思うようなことをずっと考えていて

現実のイマをないがしろにしてました。

 

そんなクソうんこみたいな自分に訪れた一度目の転機。

それは言葉を覚えたことです。

中学1年生。13歳の冬。

いままでしゃべらなかった私が言葉を発する、

やっとひとの「言葉」を話すようになって私の世界は変わりました。

いいたいことがいえ・・・たわけではありません。

そらぁ「言葉」を操りはじめたばかりでそんな器用なことはできません笑

あいかわらず、ヒエラルキーは最下層でした。

他人からみて劇的な変化ではなかったでしょう。

でも、私にとっては最強の一歩。弱弱しくてか細い、サルの一歩です。

中学編はこんなところです。

無口なサルがボソボソしゃべるサルに進化しました。

大逆転みたいな話は持ってませんが、そのうちしゃべりまくるサルに進化しました。

 

いまさら思い返してみても、私の転機ってのは毎度ピンチになって訪れていたようで、

1回目の転機もメンタル的には死にかけていました。

 

あのころの自分は毎日が暗い井戸の底にいるような、

絶望のなかにいた気がします。

 

 

中学校時代、いじめられて得たもののひとつが私は「言葉」です。

もともと、「言葉」は必要ありませんでした。

私しか存在していなかった(家族はいましたが)世界では私はそれを手に入れることはなかったでしょうし

試練の結果わたしはそのチカラを得ようと手を伸ばし

現代人に必須スキル、コミニケーションの入り口「言葉」に触れることとなったわけです。

いま、「言葉」はわたしを支えてくれている大きな要素のひとつとなりました。

年月がたったいま、思い出はとてもあたたかいものです。

思い返してみれば、感謝の対象は当時思っていたひとの数よりずっと多いですね。

 

 

転機を得たあの頃の自分と、「言葉」のスキルを使ってあれこれしている自分

そこのつながりを感じられるというのは幸せなことだと思っています。