『火垂るの墓』
本日テレビでひさびさに見ました『火垂るの墓』
コナンが見たかったのに
感想としては、新しい発見がたくさんあり、興味深かったです。
昔、子供時代に見たこの作品の感想は
「戦争って悲しい」
素直にこう思ってました。
いまの視点でみるとこうです。
「コミュ力って大事」
結論として、
主人公、お兄ちゃんのセイタくんの立ち回り次第で結末は大きく変わっていたでしょう。
ひどいバッドエンドにならずにすんだと思います。
理由を順番に説明しますね。
まずwikiより
清太声 - 辰巳努本作の主人公。14歳(中学3年〔旧制〕)。劇中で、通っていた神戸市立中〔旧制〕は空襲で全焼したことが清太により言及。家も焼け出され、母も死去し、幼い妹・節子と共に西宮の親戚の家に行くが、叔母と折り合いが悪くなり自由を求めて節子と共にその家を出る。衰弱する節子に食べ物を与えるため盗みをするなど必死になるが、栄養失調で節子を失い、清太自身も三宮駅構内で衰弱死した。同時に節子の遺骨が入ったドロップの缶は駅員に放り投げ出されていった。アニメ映画では死の直前、意識が朦朧としても節子のことを考えていた[注釈 5]。盗みを始めた理由についてアニメ絵本では節子が病気になりかかっているので「なんとかしなければならないと思ったため」という記述がある。
親が軍人ということで、もともと裕福です。そしてプライドが高い。
冒頭でお母さんを失いますが、本人はそれをどこか現実として受け止めているようには見えませんでした。
そして親戚の家で生活することになるのですが・・・
セイタくんはコミュ障なので自分からあれこれ情報発信はおろか『ありがとう』すら言えない。
働きもしないし勉強もしないし、節子と遊んでばかり(と大人からは見える)
叔母さんからごはん別々にしようかと提案されたらお金をつかって七輪買ってきたり、
節子のため(?)にみんな働いているときにオルガンひいちゃう。
そりゃあ、ねぇ。
ヤバいでしょ。
そして大人とうまくやれないから防空壕で二人で暮らすことに。
駆け落ちみたいなもんですね。
衛生状態の悪化にともないセツコの容態も悪くなります。
そして野菜を畑で盗んでバレてボコボコにされるんですよ。
ここ、ポイントはまだお金ある状態。
闇市でものを買えたでしょうに。
その後も空襲のシーンで火事場ドロボーをやり、それを楽しむセイタくんの描写。
セツコ、思考力までおちてあかん状態に。
病院でこう言われるんですよ、『滋養のあるものを食べさせるように』と。
それで闇市であれこれ買って帰るんです。(お金はある)
滋養のあるものといわれてスイカを買ってくるという感覚。。
セツコは朦朧としながらもセイタに石でできたおにぎりをわたそうとしたり
「おーきに」と感謝の気持ちをしめします。ココ大事
これ、セイタくんができなかったことなんです。
セイタは泣きます。
きっとここが救いのポイントだったかと。
なにもできない・もたないセツコがセイタの心を救ったんですよ。
その後の顔つき変わりましたもんね。
このあたりが監督の伝えたかった部分だと感じました。
ひとになにかができることって大切なんだ、と。
きっとセイタくんが親戚やまわりのひとたちと
うまくやれれば良かったのでしょう。
まわりとうまくやれずに二人だけで生きようとすると、
結末は心中しかないですもんね。